2026年6月2日火曜日

みちのく潮風トレイル(5):野生動物

 歩いていると時々に野生動物に出会います。
下の写真は
朝六時半頃の釜石の新日鉄工場前の河原に鹿が歩いて居ました。
鹿は比較的沢山居る様で、テント泊している夜中
鹿の大きな鳴き声に起こされる事が数回ありました。
これは、「たぬきの溜めぐそ」
たぬき自体は夜行性の性格なので日中出くわす事は少ないです。
この塊はまだ小さい方で、歩いていると良く出くわしました。

夜、テンは2回程見ました。
猿も数回見かけました。
猿も群れになると怖い感じがしますね!

海にはウミネコいっぱい!
浄土浜の観光船では「かっぱえびせん」やって船に寄せてました。
松島の観光船では
「野生動物にかっぱえびせんを与えては駄目です。」と注意喚起していましたよ!
一番逢いたくない無いのは熊君ですね。
でも山間部の道には必ず「熊に注意」の看板が出て来ます。
テント泊の場所を選ぶ時
海は「津波」 森は「熊」 町は「人」
いったい何処に泊まれば良いんだ!

ちょっと調べてみると私の予想を超える数字にびっくりです!!
これだけの動物を捕獲していても
鹿や猪の肉は美味しい肉だと思いますが
ジビエが普及してないのも何か原因が在るんでしょうね!

2025年度の熊に付いて
出没報告数 50776件
全国捕獲数 14720頭(秋田2564頭 福島1528頭 北海道1369頭)
被害者 238人

2024年度の猪に付いて
全国捕獲数 50~60万頭
愛知県豊橋市  228頭
愛知県田原市 258頭
新潟県  6557頭

2024年度の鹿に付いて

全国捕獲数 60万頭
愛知県  約6000頭



2026年6月1日月曜日

手長エビ

 今日は昼食後から手長エビ釣りして来ました。
手長エビに交じって、小ハゼやチチブも釣れて来ます。
餌はホタテの貝柱
手の長い雄の手長エビが釣れました。
今年の初手長エビ釣りで
やっぱ本命が釣れたら嬉しいです。
ブクブクで活かして持ち帰ったら料理酒に入れて〆ます。
今日は、昨日釣ったキスも含めて
天ぷらにしてビールの御摘まみにしました。
長い手がコリコリパリパリして良い歯ごたえがして
美味しく頂きました!!

2026年5月31日日曜日

キス釣り

 みちのく潮風トレイルにもルアーロッドを持って行きましたが
歩く事に専念すると竿を振る時間は殆ど持てませんでした。
おまけに、
トレイルの4月中は風の強い日が多く
竿出ししたくても釣りに成らない場面ばかりでした。
そこで釣り具を宮古のホテルから自宅に送り返してしまいました。
そんな感じで
釣りに関して欲求不満な日々が続いたので
今日はやっとキス釣り出来て大満足の日に成りました。
釣りをしていると野良猫君が現れて来て
一匹が「とっても、とっても悩まし声」でオネダリして来ます。
もし、この猫が
人間のお姉ちゃんだったら世間の男はイチコロに成ってしまう様な声です。
もう一匹は後ろに構えて糸を引いている感じです。
この声を耳にしても餌をあげない私は「鬼」なのでしょうか?
なんとか、
明日は晩御飯に「キス天」が出来る位釣れました。
満足!満足!!です。

2026年5月30日土曜日

みちのく潮風トレイル(4):地震

 歩き旅を進めて行くと
日々、2011.3.11の震災遺構に遭遇して行きます。
その被害は八戸 鮫駅を出発し南下するに従い大きくなって行く様に感じました。
被害は、
リアス海岸部分が終わり、川沿いの平野が多く成り出すと一気に増加します。

東北地域の震災の記録は
869:平安時代
1611:江戸時代 初期
1793:江戸時代 中期
1856:江戸時代 末期
1896:明治
1933:昭和
1996:ペルー沖地震による5.5mの津波 
2001:ペルー沖地震による津波は40㎝程度だった
2011:平成(東日本大震災)

何故か、発生周期が短くなっている気がしませんか?
私感ですが
3.11で大きな被害が出ている場所では
津波は来る物だと分かっては居ます。
その基準を
1996:ペルー沖地震による5.5mの津波 
に設定して都市計画が成されている感じを強く受けました。
町は平地にコンパクトに作った方が安上がりです。
「昨日も今日も大丈夫だったから明日も明後日も大丈夫だ!」
と言う、勝手な安全バイアスが常識化して行ったのでしょうか?
原発誘致や工場進出の経済効果は自治体をも刺激し、
そのバイアスに拍車を掛けているのでは無いでしょうか!

三河地区での津波被害の歴史はどうだったでしょうか?
AIで調べて見ました。
1498:明応地震 太平洋側8m 湾内3-4m
1539-40頃:豊川下降で津波被害
1707:宝永地震 太平洋側8m 湾内3-4m 吉田城崩壊
地震の50日後富士山が16日間噴火
1854:太平洋側10m 湾内3-4m
1891:濃尾地震
1944:昭和東南海地震
1945:三河地震(直下型地震)

東北地方とは年代が違うので別の地震の様です。
その当時は堤防などの不備は在りましたが家屋の流失も有ったそうです。

今三河地方に、 
太平洋側10m 湾内3-4mの津波が来たらどうなるか想像すると
伊良湖岬や江比間や三河湾奥の埋め立て地辺りは水没するでしょうね!
今からでも遅くないので高堤防や避難タワーを作ったらどうでしょうか!
私は
逃げる時間は地震発生後15分位だと勝手に思っています。
30分後には安全地帯に居る必要が有ります。
携帯やTVで津波情報を調べていたら間に合いません。
さてその時、あなたは、私は、
何を捨てて、何を選んで、どう行動するでしょうね???

震災遺構として残る 高校の校舎3階の教室に残る津波で運ばれた自動車

2026年5月29日金曜日

みちのく潮風トレイル(3):記録3/3

 みちのく潮風トレイルの後半の見所は
南三陸 → 牡鹿半島 → 金華山等の島巡り → 松島の島巡り → 多賀城の遺跡
日本一低い山 →名取トレイルセンタ
だろうか?

私は、船旅には縁が薄い様で・・・・
気仙沼の観光船は観光客不足でお休み
金華山には行けたけど、トレイルコースを全部歩くには船のチャーターが必要なので
山頂までの往復のみにしました。
翌日、牡鹿半島の島めぐりは強風で中止。歩いて奥松島に行きました。
トレイルコースに従い奥松島から島へ渡ろうと思ったら
定期便は有りませんと言われました。
そこで、松島まで歩いて塩竃までの観光船には乗りました。
後半戦は、毎日3.11の地震・津波遺構を見ました。
今迄思っていた内容を遥かに超えた出来事だったんだ!!
と実感しましたよ!!

今回は、地震と津波の後遺症で
これ以上海岸沿いを歩きたく無くなってしまい帰宅する事にしましたが
次は、
潮風トレイルの終点から、200km程の福島 浜街道トレイルを歩いてみようかな!



2026年5月28日木曜日

モグラ穴潰し

 約40日間、畑を放置したら1m近くに成長した雑草がいっぱい生い茂り
大雑把にでも草整理して旅の前に植えたナス・ピーマン・甘唐辛子等を
草から発掘するのに3日程掛かってしまいました。
草整理が一段落して
にんにくを収穫したんですが
その大きさに個体差が有る事を確認しました。
そこで
土を確認すると
小さい個体の下に空洞が有るのを発見
「モグラ穴だ!!」
きっと、この穴に根はりが阻害されてしまった様です。
取り合えず
モグラ君には悪いですが、植穴に棒を突き刺して
「モグラ穴潰し」をさせて頂きました。
けっこう沢山モグラ穴が在りましたよ!

みちのく潮風トレイル(2):記録2/3

スタート地点の 八戸 鮫駅→宮古まではIさんとの2人旅でした。
それぞれがマイテントを持って一緒に歩きました。
全体と通して、
この間の海岸線がリアスの断崖美がスケールも有り
最も綺麗で迫力が在ったと思います。

宮古では、源義経の北行伝説が繋がっていて、
昨年の北海道の山旅で出会った義経伝説と繋がった感が有りました。

Iさんと別れて一人旅になった重茂漁港でのテント泊夕食に震度5の地震発生し、
崖からガラガラと落石音が聞こえ、津波警報も発令され港では繰り返し避難放送され、
食べ掛けの御飯はほかり、
サックに寝袋と貴重品だけ入れてテントは放棄して高台に逃げました。
そんな中、
ある漁師が猛スピードで入って来て
港に係留していた漁船を解いて沖に出て行ったのにはびっくりしました。
しばらく高台で待機してから出入口が閉じた高堤防の階段を登り越えて
2km先の直販所の軒下で仮眠していたら直販所の人が避難所に連れて行ってくれました。
夜11時に成って津波警報が注意報になったので
片道2.2km離れたテント場まで歩いて行きテントを回収して避難所まで戻りました。
道中、数頭の鹿・テン・猫・犬にも会いました。
大変な一夜でした。

その後、
大船渡(震度3&津波避難)・大谷鉱山(震度3)・四方山(震度5)でテント泊中に3回
地震に遭遇しました。
毎日、歩く先々で3.11の津波遺構を見ながら歩いていると
ちょっと地震恐怖症になったかな!!!

テント泊をする場所に付いても
鹿は近くで良く見ます。
結構民家に近い場所でも「熊出没 注意」の看板が有り
熊恐怖症にもなったかな!!!