2026年6月7日日曜日

みちのく潮風トレイル(8):日本一低い山 と ピラミッド

 トレイルの南下ルートをたどって来て仙台港近くに日本一低い山が在ります。
みちのく潮風トレイルの正式ルートからは約2km(往復4km)
離れているのでちょっとしたアルバイトですが
ここの公園でテント泊する為に歩いて来ました。

以前は大阪の天王山が日本一低い山でしたが
3.11の震災津波と地盤沈下により標高が3mほど下がって
日本一低い山(標高3m 日和山)になったそうです。
ここの公園駐車場にはスズキ狙いの釣り師が多く来ていました。
この辺りには下の写真の様な津波避難用ピラミッドを所々に見かけます。
ここは、河川の堤防からひょっこりとピラミッドが作って有ります。
この僅かな標高差が命の境目なんでしょうね!
ここのピラミッドの山頂には東屋が在るから親切設計だと思います。
実際に津波が発生し、ここに避難したとすると
朝か夜か?
晴れか雨か?
ピラミッドの下に濁流れが流れるのを見ましたか?
何時また余震と津波がまた来るのかの不安時間が何時間続くのか?
私がここに来る為に乗って来た車は流れて行きましたか?
ここに何人登れるの?
今、家族は・友人・知人は・・・
避難場所を毎日、沢山見て来ましたがトイレも屋根も無い所が殆どです!
連想ゲームは続きます!!!
私の住んでいる三河地区にも
豊川市御津町の日本列島公園や
渥美半島の堀切辺り
浜名湖今切口
にも在ったと思います。
皆さんも時間が出来たら実際に行って、
色んな連想ゲームをしてみると面白いと思います。

2026年6月4日木曜日

みちのく潮風トレイル(7):道標

 みちのく潮風トレイルは道標はよく整備されていると思います。
ただ、
一般のハイキングコースと潮風トレイルコースの区分けが分かり難い所も有るので
多少の注意は必要です。

下の写真が一般的な形だと思います。

下の写真は潮風トレイルで初めて見たタイプです。
上から見下ろすタイプなので背丈が低く、八方向の⇒で道の形を示しています。
潮風トレイルを示す看板も有ります。
この形は、方向指示も親切・サイズも小さく軽量なので設置も楽に成ると思います。
なかなか優秀と思います。
⇒部が凹んでいてゴミが溜ると分かり難くなってしまった場所も在ったので
白のシリコン樹脂で盛ってもたっらら完璧かな!!

九十九峠の数年前の山火事で焦げてしまった道標です。

2026年6月3日水曜日

みちのく潮風トレイル(6):山の木々

 トレイル沿いの山々は
山稜から海近くまで縦方向に「針葉樹植林帯」と「広葉樹林帯」と
帯上に木々が植えて在る風景が気持ち良かったです。
日本の一般的場所では
杉・檜等針葉樹が一色となり植林帯の区分けをしている所が少ないと思います。
被害が大きい「ナラ枯れ」
ナラの木は一般的にはドングリの木の事です。
ナラ枯れの原因
体長約5mmの昆虫「カシノナガキクイムシ」が木に穴を開けて住み着いて
その時、虫の持つナラ菌と言う病原菌に感染して水が吸えなくなって
枯れてしまう病気の様です。
トレイルを歩いていると
自然分解するシートに包まれた殺菌剤をうたれた伐採木を随所に見かけます。
ナラの実(ドングリ)は元々、実り方に周期年が在る植物に加えて
このナラ枯れ発生で
熊君の食べ物の増減が大きくなって居るのに加えて
必要性が減少した様に見える
手入れのされていない雑木林のとなった広葉樹林帯に依って
野生動物が人里に下りやすくなっているのでしょうか?
しかし、
一見必要性が減少した様に見える広葉樹林帯ですが
広葉樹林の大量の葉は光合成でCO2をエネルギーに変え、
落ち葉はCO2を固体化し、腐葉土なり多量の微生物と共に土を潤し、
海に栄養分を供給する原料である事を忘れてはいけないですよね。
美味しいホタテやカキフライやアサリや魚が食べたければ
価値観とお金の流れを変えて
何か・何処かに力添えしないと駄目な時が来ていると思います。
上の写真は大槌町 2日目朝の山火事の煙です。
私は、前日の午後この山火事の火元辺りから入山ハイクしました。
入山時は全く火の気配は無かったのですが風の強い日で
稜線に出た頃には隣山からの飛び火で火が付いたらしく
「やけに焚火臭いな!」と思ったら、煙まで見えて来て、
「危ない!!」と必死に歩いて下山しました。

風が強いので良いテント場は見つからず
何とか窪地にテントを張りましたが、火事は稜線を越えて下の町まで達していました。
翌日は消化ヘリの音で目が覚めました。
その時のテント場から少し町に下った時の写真です。

この土地では数年前にも山火事が在ったそうです。
その火災現場の今が下の写真です。

2026年6月2日火曜日

みちのく潮風トレイル(5):野生動物

 歩いていると時々に野生動物に出会います。
下の写真は
朝六時半頃の釜石の新日鉄工場前の河原に鹿が歩いて居ました。
鹿は比較的沢山居る様で、テント泊している夜中
鹿の大きな鳴き声に起こされる事が数回ありました。
これは、「たぬきの溜めぐそ」
たぬき自体は夜行性の性格なので日中出くわす事は少ないです。
この塊はまだ小さい方で、歩いていると良く出くわしました。

夜、テンは2回程見ました。
猿も数回見かけました。
猿も群れになると怖い感じがしますね!

海にはウミネコいっぱい!
浄土浜の観光船では「かっぱえびせん」やって船に寄せてました。
松島の観光船では
「野生動物にかっぱえびせんを与えては駄目です。」と注意喚起していましたよ!
一番逢いたくない無いのは熊君ですね。
でも山間部の道には必ず「熊に注意」の看板が出て来ます。
テント泊の場所を選ぶ時
海は「津波」 森は「熊」 町は「人」
いったい何処に泊まれば良いんだ!

ちょっと調べてみると私の予想を超える数字にびっくりです!!
これだけの動物を捕獲していても
鹿や猪の肉は美味しい肉だと思いますが
ジビエが普及してないのも何か原因が在るんでしょうね!

2025年度の熊に付いて
出没報告数 50776件
全国捕獲数 14720頭(秋田2564頭 福島1528頭 北海道1369頭)
被害者 238人

2024年度の猪に付いて
全国捕獲数 50~60万頭
愛知県豊橋市  228頭
愛知県田原市 258頭
新潟県  6557頭

2024年度の鹿に付いて

全国捕獲数 60万頭
愛知県  約6000頭



2026年6月1日月曜日

手長エビ

 今日は昼食後から手長エビ釣りして来ました。
手長エビに交じって、小ハゼやチチブも釣れて来ます。
餌はホタテの貝柱
手の長い雄の手長エビが釣れました。
今年の初手長エビ釣りで
やっぱ本命が釣れたら嬉しいです。
ブクブクで活かして持ち帰ったら料理酒に入れて〆ます。
今日は、昨日釣ったキスも含めて
天ぷらにしてビールの御摘まみにしました。
長い手がコリコリパリパリして良い歯ごたえがして
美味しく頂きました!!

2026年5月31日日曜日

キス釣り

 みちのく潮風トレイルにもルアーロッドを持って行きましたが
歩く事に専念すると竿を振る時間は殆ど持てませんでした。
おまけに、
トレイルの4月中は風の強い日が多く
竿出ししたくても釣りに成らない場面ばかりでした。
そこで釣り具を宮古のホテルから自宅に送り返してしまいました。
そんな感じで
釣りに関して欲求不満な日々が続いたので
今日はやっとキス釣り出来て大満足の日に成りました。
釣りをしていると野良猫君が現れて来て
一匹が「とっても、とっても悩まし声」でオネダリして来ます。
もし、この猫が
人間のお姉ちゃんだったら世間の男はイチコロに成ってしまう様な声です。
もう一匹は後ろに構えて糸を引いている感じです。
この声を耳にしても餌をあげない私は「鬼」なのでしょうか?
なんとか、
明日は晩御飯に「キス天」が出来る位釣れました。
満足!満足!!です。

2026年5月30日土曜日

みちのく潮風トレイル(4):地震

 歩き旅を進めて行くと
日々、2011.3.11の震災遺構に遭遇して行きます。
その被害は八戸 鮫駅を出発し南下するに従い大きくなって行く様に感じました。
被害は、
リアス海岸部分が終わり、川沿いの平野が多く成り出すと一気に増加します。

東北地域の震災の記録は
869:平安時代
1611:江戸時代 初期
1793:江戸時代 中期
1856:江戸時代 末期
1896:明治
1933:昭和
1996:ペルー沖地震による5.5mの津波 
2001:ペルー沖地震による津波は40㎝程度だった
2011:平成(東日本大震災)

何故か、発生周期が短くなっている気がしませんか?
私感ですが
3.11で大きな被害が出ている場所では
津波は来る物だと分かっては居ます。
その基準を
1996:ペルー沖地震による5.5mの津波 
に設定して都市計画が成されている感じを強く受けました。
町は平地にコンパクトに作った方が安上がりです。
「昨日も今日も大丈夫だったから明日も明後日も大丈夫だ!」
と言う、勝手な安全バイアスが常識化して行ったのでしょうか?
原発誘致や工場進出の経済効果は自治体をも刺激し、
そのバイアスに拍車を掛けているのでは無いでしょうか!

三河地区での津波被害の歴史はどうだったでしょうか?
AIで調べて見ました。
1498:明応地震 太平洋側8m 湾内3-4m
1539-40頃:豊川下降で津波被害
1707:宝永地震 太平洋側8m 湾内3-4m 吉田城崩壊
地震の50日後富士山が16日間噴火
1854:太平洋側10m 湾内3-4m
1891:濃尾地震
1944:昭和東南海地震
1945:三河地震(直下型地震)

東北地方とは年代が違うので別の地震の様です。
その当時は堤防などの不備は在りましたが家屋の流失も有ったそうです。

今三河地方に、 
太平洋側10m 湾内3-4mの津波が来たらどうなるか想像すると
伊良湖岬や江比間や三河湾奥の埋め立て地辺りは水没するでしょうね!
今からでも遅くないので高堤防や避難タワーを作ったらどうでしょうか!
私は
逃げる時間は地震発生後15分位だと勝手に思っています。
30分後には安全地帯に居る必要が有ります。
携帯やTVで津波情報を調べていたら間に合いません。
さてその時、あなたは、私は、
何を捨てて、何を選んで、どう行動するでしょうね???

震災遺構として残る 高校の校舎3階の教室に残る津波で運ばれた自動車