私は「大きな山」が登りたい!
と、常々思っています。
いったい、「大きな山」とはどんな事だろう。
1.ヒマラヤの高峰の様に物理的に大きな山
8000m以上の高峰のベースキャンプは5000m位に設置します。
つまり、
ベースキャンプに着いてから、まだ3000m以上登るのです。
周りは岩と雪のモノトーンの世界
息をしたら肺が凍りそうな強い寒気の中、
大きく呼吸しながら一歩一歩登るに連れて
進んで行くと
登山は小社会的な団体競技だが、
徐々に徐々に「個」に戻って行きます。
2.大岩壁登攀
これを登るまでのトレーニングに要した時間と
登る為の心を作るのに乗り越えて来た
社会的・経済的・人間関係的・技術的な事は大きい。
近くの山やジム壁でのボルダーリングは楽しく技術的も凄い。
危険度も有るが登山とは別物だ。
どこか感性が違う気がする。
私は「箱庭の虎」は目指さない。
と偉そうに言ったところで、今の私に出来る話ではない。
3.山脈縦走
単品登頂では無く、集合帯として山を大きくする
往復登山より周回路を選ぶ事も「大きな山」に近づけようとする行為と思います。
また、
地図を見ながら自分のオリジナルルートを探し出す
既成の道を外れ、沢を繋げ、色んな山域に分け入る事も
「大きな山」に近づけようとする行為と思います。
4.ゆっくりゆっくり
早く行く必要は無い。
しかし、行程が伸びれば荷物も重くなる。
だから、出来るだけシンプルに山泊り。
気に入った場所なら一日行程を二日にしても良い!
出来れば、深山の静かな沢横が良い
そこに、山菜・きのこ・岩魚に焚火して
旨い日本酒が有れば最高だ。
そして、山で寝起きする時間と共に
自分も自然の一部としてそこに居る様に感じます。
キャンプ指定地は駄目だ!!
そこに来る彼らの意識は都会の延長で
その意識が周囲から突き刺ささって来る。
夜7時過ぎに、自分のテントで相棒と喋っていると
隣のテントの人が「煩いぞ!静かにしろ!朝早いんだ!」と
殺気だった声で怒鳴って来る。
そして、彼らは夜中に起きてバタバタと出発して行く。
俺はもっと寝たいのに煩くて起きてしまいます。
こっちこそ「夜中に煩いぞ!」と怒鳴りたい心境だ!
また、トレランの様に
一日に長距離日帰り行動をすると
山の内容的には
トレーニングとしての価値は認めても
どんどん急げば急ぐほど「小さな山」になってしまう気がします。
5.古い足跡の発見
山には古道の跡が沢山残っていますが
ほとんど忘れられた断片になっています。
なぜ何時ここに道が出来て
どんな人が、どんな格好で、どんなスケールで、どんな理由で通ったのか?
思いを広げると
そこは大きな山になって行く
最近はブラタモリの影響で地質にも興味有りです。
今の私はもう、
口は動くが足は動かない。
高所登山と岩壁登攀は出来なく成って来たが
まだまだ、
山で泊まり沢で遊び
先を急がず、ゆっくりのんびりロングトレイルを歩き
下界では釣りと畑仕事
と思う今日この頃。
昼はラグーナのヨットハーバーでランチ
世の中には
こんな豪華なヨットに乗れる人達が居るんだよね!!
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