2025年5月31日土曜日

四国歩き遍路の旅(5):遍路転がし と 遍路道

 遍路道は時代と共に少しずつ変わって来ている様です。
歩きのステージは大きく分けて4ステージの様です。
町・村ステージ
田園ステージ
海岸ステージ
山岳ステージ

一番札所から歩き始めると、町・村ステージです。
札所を繋ぐ道路は現代のメイン道路から外れているので食堂もコンビニも有りません。
何も持たないで歩き始めると食事も出来ない事態になってしまいます。
また、
テント泊族は民家近くで野宿場所が無く、夕食も出来ない事態になってしまいます。
これが遍路で最初に受けるショックです。

吉野川を越える辺りや山岳ステージ間の村々を繋ぐ道の田園風景は心を癒してくてます。
焼山寺からの下山ルートの枝垂れ桜
太龍寺辺の山間の田植え風景はとっても綺麗でした。
やっぱり
食堂もコンビニも有りません。

四国は大きく見ると四角形をしています。
その各辺での海の風景は全く違います。
徳島側は明るく広く
高知側は強く、荒々しく
愛媛側は海に浮かぶ島々夕陽が綺麗です
香川側 瀬戸内海の風景は穏やかで安心します。
高知の室戸・足摺岬周辺は強い海風と打つべき札所も無く唯々歩く遍路道は大変でした。
また、町々の家波と津波避難タワーを見て大地震が起きたと想像しただけで胸が痛みます。

室戸岬手前のジオパークの説明が心に残りました。
海岸の岩に見える縞模様は
山が崩れて川に土砂が流れる → 土砂が海に流れる → 堆積する・縞柄が出来る → 岩になる 
→ 南海トラフ地震発生 → 堆積岩がプレートに押されて陸に寄る → 南海トラフ地震発生
→ もっと押されて四国の山になる → 山が崩れて川に土砂が流れる
これが大自然の循環だそうです。

戦後になって道路整備され、多くのトンネルが出来ました。
遍路はそれらのトンネルが出来る前から在るので、
トンネルを迂回する様な遍路道が多くあります。
トンネルは距離短縮には成りますが、歩いていると車は怖いし、壁は排気粉塵で汚いし
平衡感覚がズレてフラフラするし、
ズル・大着をしている様な気分で罪悪感も残るので旧道も多く歩きました。

山岳ステージの中で、特に険しい行程を「遍路転がし」と言います。
遍路転がしで有名なのは
12番札所 焼山寺
21番札所 太龍寺
66番札所 雲辺寺
などが有りますが

私は峠道も記憶に残る所が有ります。
大根峠
三原村を超える峠
歯長峠
松尾峠
大阪峠

山頂に近い所に在る札所も印象に残ります。
山の標高は低いですがスタート地点は海抜ZERO近くから始まります。
27番札所 神峰寺
45番札所 岩屋寺
60番札所 横峯 寺
81.82番札所 白峯寺 根香寺
84 番札所 屋島寺 
85 番札所 八栗寺 
88 番札所 大窪寺 
高野山 奥の院(20kmの長い登りです)

登山家にとっては「へのかっぱ」と言う事にして於きます。

2025年5月30日金曜日

四国歩き遍路の旅(4):呼ばれた

 順打ちで歩いていると同じ方向で歩調の合う人に出会うと
お寺毎に出会う様になって、だんだん雑談をする事も多くなります。
そんな時
「あなたは、お大師様に呼ばれてここに来たんですよ!」
と言われる事が時々あります。

世界を旅した人のエッセー本などを読んでいると
似たような感想が書いて有る場面に出会いますが、四国遍路とは微妙に違う感じです。
一神教世界の旅人は
神による予定説 や 神による誘導的なニュアンスが多いです。
今の環境は、神が決めた世界なんだろうか?
神が予定した?
何の為に?
他には?

四国のお遍路ではそこまで厚かましく無く、
あくまで自分の自由意志の延長で自分で選び取った道と言う印象を受けます。

自分で選び取った道だと考えると「呼ばれる」とはどう言う事なんだろうか?
道を選ぶ為の情報を与えられた?
考え方・歩き方・社会的環境条件が揃った?
協力的な人に出会えた?

最近では
ヨーロッパ・アメリカの白人系のお遍路が目立ちました。
歩き遍路の30~40%は白人系の人の様に感じました。
彼らはどんな感じで呼ばれたんでしょうかね!!!

2025年5月29日木曜日

四国歩き遍路の旅(3):チャレンジャー

 私が四国歩き遍路旅に興味を持ったのは
1200kmと言う長い距離を歩き通せるかと言う自分に対する興味からです。

人と言うのは面白い者です。
例えば
世間には
私が全てを止めてトレーニングしたとしても絶対に勝てない様な強者がいます。
しかし、彼らは
冬の北アルプスには行けなかったたり
一人でテント泊出来なかったり
水泳が出来なかったり
スキーが出来なかったり
料理が出来なかったり
会社への休暇交渉が出来なかったり

人の強さには質の違いが有り、
強い人間にも弱点が有り、実際には平均値が高い者。
又は、極端に駄目の無い者が一番安定している事に気づいたのです。

そう思い
近年は思考を変えてロングトレイルへのチャレンジを始めました。
特に、全てを担ぎテント泊で行く事に拘ってみました。
一日の最後の寝床が決まらない不安感は大きなチャレンジです。
山でのテント泊より、中途半端に人いる環境での野宿は結構勇気がいります。

四国遍路の1200kmと言う距離は 東京→博多 位でしょうか。
西暦600年代役行者は日本の山野を縦横無尽に歩きまわり、
西暦800年代空海が移動した距離はもっと遠いです。
この頃にはキリスト教の布教者が北京まで来ています。
西暦1200年代 鎌倉時代に源義経が源平合戦で移動した距離はもっと遠いです。
同じ時期、チンギスハンモンゴルからはヨーロッパに向かい
マルコポーロは 北京まで来ました。
幕末期、西郷隆盛はまだ鉄道の無い日本を移動した距離はもっと遠いです。

そう考えると
1200kmと言う距離は非常に短くてアンチョコな距離ですが
少しでも、時空を超えて彼らの情熱わ探る歴史観を探る為のチャレンジでも有りました。

2025年5月28日水曜日

四国歩き遍路の旅(2):打つ

 遍路旅では札所を廻る事を「打つ」と言います。
順打ち :札所を番号順に進む
逆打ち :札所を番号と反対に進む
区切り打ち :札所を自分で決めた区間順に進む
一般的には88ヶ所寺院のみだが、20ヶ所別格寺院も在り、計108ヶ所が遍路対象

「打つ」とは、札所に納め札を打ち込むところから来ている様です。
しかし
私は、「打つ」と言う言葉に感じたのは
一つ一つの札所を心に打ち込みながら進む事だと思っていました。

人の心には、色々なクサビがその経験に於いて撃ち込まれます。
そして、
そのクサビを目印に
常にそれを越えようと「一生懸命生きる」のです。
その行為には、善悪も良否も功罪も関係無いです。
そして
それが達成された時の緊張が解放された時の解放感が
快感として残って行く様に思います。
例えば
泥棒や詐欺と言う行為は犯罪ですが
計画→実行→緊張の解放→成果→ご褒美
この様な行為の中にクサビが撃ち込まれて行くのでしょう!
登山にも同じ様なプロセスが働いている様に思います。
また
計画時に於ける、想像力も刺激としては大きいでしょうね!!

最近の登山界の高齢化した初心者の増加の原因も
若い時に打たれたクサビによる「青春の残像」を求めて
始める方が多いのではないでしょうか!!

2025年5月27日火曜日

四国歩き遍路の旅(1):断ち切る

 歩き遍路の旅に出るには、
色んな物を「断ち切る」事が必要だと分かった。
ただ、気分的に楽なのは「命」の危険が無い事だ。

若かりし頃、
長期連休を貰って海外登山に出掛ける時
出発準備が終わって家を出る時や飛行機の中で毎回思った事は
「俺は何故山に行かなければ行けないんだ。
多額の金を使い、命を使い、こんな事をしていて良いんだろうか!」
そして、空虚間が胸に残った。
人の感情と言う物は、物理的な重さが有る様に圧し掛かって来ます。
自分のやりたい事には意味は無いが
今、自分が「一生懸命生きる」為には必要だった。
「一生懸命生きる」行為には、善悪も良否も功罪も関係無い。
もっと根源的な衝動だと思います。
しかし、
現場に着くと、そんな事は忘れてしまう。
今日やる事
今日生きる事に集中した。

お遍路の旅には、
こんな重い感情は無いが
旅に必要な約2ケ月と言う時間を自分の人生スケジュールのどの部分にはめ込むのか!
畑の草整理はどうするのか?等々
自分の日常を旅に行く為にどう切り離すのか!
荷物の軽量化の為に何を削るのか!
宿泊にするか野宿にするか!
野宿は単にお金の節約だけでは無くシンプル生きる為の方法の一つの様に思います。
どういうシンプルさ・便利さを求めるのか!
リュック一つの旅立ちでは、全てリュックの重さになってしまいます。

ついには
行けない理由を探し出して、行かない事を正当化しようとしだす。
兎に角、全てを断ち切るのだ!

四国88箇所歩き遍路帰宅報告

細かい報告は別途として
取り合えず50日間で「満願」して帰宅しました。
この靴を履いて1番札所から高野山まで
1340km歩き通しました。
私は左膝を手術しているので
左足のゴム底の減りが可笑しいです。
「靴さん、ありがとうございました!」
お遍路でお寺に周る度に、一定の手順で教お経を読みます。
お経を読んだ後、お経を納めた印に納経帳に御朱印を貰います。
それと、
ご本尊の御影カードを頂きます。
御朱印と御影です。
88箇所が全部揃って「結願」
1番札所に戻って来た御朱印と高野山 金剛峯寺 奥の院で弘法大師を
お礼参りした御朱印がセットで「満願」です。
88番札所手前 道の駅向かえに在る さぬき市前山おへんろ交流サロンで
「88箇所遍路大使任命書」とDVDとバッチを頂きました。
ただで貰えるものは何でも嬉しいです!
50日間の旅を終えて帰宅すると
家庭菜園はジャングルになっていました。
草整理と畑の整備に数日掛かりそうです!
畑には悪い事をしましたが頑張って整備するから許してね!!