2024年6月6日木曜日

渥美半島 どんぶり街道スタンプラリー(14)+ 田原サンテパルク

 風雅さんの田原ポークのドレミファ丼(¥1100)を食べて来ました。
美味しいですよ。

田原サンテパルク
チューリップの球根を掘り終えてサルビアが花盛りです。


六月はアジサイがどんどん咲いてきています。


2024年6月3日月曜日

渥美半島の縄文人

 田原に在る吉胡(よしご)貝塚の博物館(入場料¥200)に行って来ました。
近くに有っても全く知りませんでしたが
約3000年前の世界へワープして行って見ると中々と面白かったです。
現場で見てみると自分なりの疑問も沢山湧いてきます。
ここでは300体ほどの人骨も発見されている様です。
リアルな展示物にびっくり
私達の生活は、こんな歴史的経験の積み重ねを経て、
歴史の最終端を切り開いて生きているんですね!
貝塚の貝殻層(食べかす)が出来るまでには多くの時間と人の生活が必要です。
なぜ、貝殻層の下に人骨が有るのだろう?
なぜ、人を小さく畳んでいるのだろう?
骨になった人の骨を掘り出し・拾い集め、
四角に並べ組み直して埋葬した物がありました。
なぜ、骨に成った人骨を組み直す必要があったのだろう?
どんな(あの世とこの世の)世界感(物語)を元(根拠)に実施されたのだろうか?
そこには、神や宗教が存在したのだろうか?
人が生活するには綺麗な水が必要だ。だから、ここは真水の出る山麓なんだ。
昔はもっと海が近かったんだろうか?
イルカの骨もあるぞ!
貝輪(腕輪)もあるぞ。三河には無い黒曜石の矢じりだ。交易をしていた様だ!
太古の昔から、愛知には物作り文化と冒険心が有った様です。
いったい、彼らの行動範囲はいったい何処まであったの?

ここの遺跡は、地元人でも知らないけど
日本国内でも有数の価値ある遺跡の様ですよ。
もっと細かく見たら疑問の塊になってしまうよ!

2024年6月2日日曜日

山芋(長芋)の波板栽培

 今年初めて山芋の波板栽培を始めました。
山芋(長芋)は2月にスーパーで買って4当分(1個約8センチの円筒形)に切って、
切り口からの腐敗を防ぐ為に
味付け海苔に付いていた石灰を暫らく水に漬けて溶かしてから切り口に塗りました。
その後、種まき培養土に入れて水をやり2ケ月経ちました。
初めてなので勝手も分かりません。
4月に入って駄目だったかな? と思っていたら
突然芽が出て来て、つるが伸びてどんどん大きく成り出しました。
そこで、慌てて波板栽培の準備です。

畑で山芋が真っすぐ成長したら掘り出しが大変なので
山芋の下に波板をひいて波板沿いに成長させます。
畔板で囲んだ区画に90㎝の波板2枚を30度傾斜に入れて土を被せます。
円筒形の種芋の芽の出ている方を下にして植え付けます。
土の乾燥防止に敷き草をしました。
近所の河原で竹も拾って来てつる道も作りました。

隣にゴボウの種も蒔いたのですが、芽も出ない感じなので失敗かな?

6月に入りぐんぐん成長しています。
つるは何本、何処まで伸ばせば良いんだろう?
収穫時期が何時なんだろう?
まだまだ知らない事ばかりなので毎日勉強です。

2024年5月31日金曜日

ネギのパイプ栽培

 家庭菜園でネギのパイプ栽培にチャレンジしています。
ネギの種は100均で買った「一本ネギ」
3月30日に種を蒔いて
苗がようやく30センチほどに大きくなったので定植する事にしました。

ネギと一言に言っても九条ネギの様に自ら株が株増殖する物や
ワケギの様に球根増殖する物など種類は沢山有ります。
「一本ネギ」は1本で生えます、
茎下部を成長に合わせ徐々に土に埋めて日光を遮断して行き
茎を白くして食べるネギです。

パイプ栽培は茎を土で埋めて行くのでは無く、
埋めたパイプの中に苗を植え付けて
成長に合わせて埋め込んだパイプを成長に合わせて徐々に持上げて行く様にします。

パイプには
雨樋用の45Φ*2700mmサイズをホームセンターで買って来て
長さ250mmサイズに切りました。
畑に埋め込む為に40Φ*900mmの木杭を使いました。

当たり前の様に普段からネギを食べていますが
ネギは強いですが成長が遅いです。
けっこう面倒な作物だと改めて感じますが、これから上手く行くか楽しみです。
牛乳パックで育てた苗ですが
ちょっと沢山巻き過ぎた様です。


2024年5月30日木曜日

100名山 奈良県 大台ケ原(日出ヶ岳)

 大台ケ原を登ると今回の300名山関西8座を完了し、
滋賀県以西の300名山を完登する事が出来ました。
日本の地理的には西日本は日本の国土の半分なんですが
300名山としては54座しか有りません。
日本の山は中部から東に集中している様です。
まだまだ先は長いですね!

行程概要
大台ケ原 駐車場 泊 → 日出ヶ岳 → 尾鷲辻 → 駐車場 → 下道走って帰宅

本日の歩行距離
6㎞
大台ケ原 駐車場


日出ヶ岳 山頂


現在の山頂付近は笹原ですが
伊勢湾台風以前は森だったそうです。
どうして台風で森が無くなって笹原になったんでしょうか?
笹の先端をよく見ると、鹿に食べられた跡が見られます。
鹿に芽を食べられた(鹿害)為、笹の背丈が伸びない様です。
鹿害のお陰で人は広く良い景色が見えているんですね!

この日は、鹿害の調査日の様で腕に腕章を巻いた沢山の調査員が入山していました。
山頂付近は登山道に砂利や岩が目立ち腐葉土層が非常に薄い感じです。
これを。元の森林に戻すのは難しい感じですね。
笹が枯れてが良い腐葉土層を作ってくれるのには長い年月が掛かりそうですね。
尾鷲辻を過ぎると森になって来ます。
針葉樹林帯の下は光が入り難いので苔生し
広葉樹林帯の下は葉越しでも光が入るので笹が多く見られる様に思います。
其々の植物が其々の機能を持って其々の仕事をしている感じがします。
3時間ほどかけてのんびり散歩しました。
駐車場からは旅の終了で
のんびり下道走って帰宅しました。

2024年5月28日火曜日

300名山 和歌山県 護摩壇山


行程概要
道の駅 九度山 泊 → 道の駅 田辺市竜神 ごまさんスカイタワー 駐車場 登山口 →
護摩壇山 → 龍神岳 → 林道 → ごまさん駐車場 → 道の駅 九度山 観光 → 大台ケ原 駐車場

本日の歩行距離
4km

前夜泊した道の駅 九度山から 30kmほどくねくねした山道を走り
ごまさんスカイタワーのある道の駅に到着します。
写真の道の駅の看板上に見えるのがスカイタワーですが
登るのに¥300だったのでちょっと遠慮しました。
護摩壇山の登山口はこの駐車場です。スカイタワーの後方の峰が護摩壇山です。

よく整備された緩い階段を15分ほど登ると護摩壇山山頂です。
余りにもあっけない登山なので、20分ほどアルバイトして
隣の龍神岳にもお散歩。
ここには大きな電波塔が建っていて
小辺路や大峰の連山が良く見えました。
ここからは、恐らく電波塔建設に使われた林道を通って車に戻りました。

300名山の選択の中には、確かに景色は良いですが、
こんな「あっけない山」選択が結構多いのには何か疑問を感じます!
何か、もっと「うんちく」や「激しさ」みたいな選択肢が欲しいと思います。
何かの「力学」が働いているのでしょうか?
護摩壇山登山終えて、大台ケ原に移動ですが
紀伊半島の地形は南北に連なる連山を横断出来ないので
ちょっと大回りする場面が有ります。

今回もそのパターンで、再度九度山に戻ってから大台ケ原に向かいます。
九度山は真田昌幸・幸村の流刑地で
 昌幸の墓所やミュージアムが在るのでちょっと寄り道と昼食をしました。
ミュージアム
昌幸の墓所
真田一族には智略と生き様を感じますね!
真田一族の足跡に近づけたのは嬉しかったです。
次は、真田一族の本拠地 信州 上田方面にも行ってみたいです。

地元のお弁当と
吉野葛の入ったわらび餅も頂きました。
この後、大台ケ原のスカイラインは夕暮れと濃霧で
前が見えない場面も有りちょっと大変でした。

2024年5月27日月曜日

300名山 大阪府 大和葛城山 200名山 金剛山

大和葛城山・金剛山は北に奈良・西に大阪・南に高野山・東に修験の山 に近く
山が人の文化と歴史に大きく接近しています。
金剛山の麓には高天原が有り、天と繋がった土地柄の様です。
お寺や神社も沢山有ります。
また、
ダイヤモンドトレールと言う大阪府の代表的路レールを有しています。
特に金剛山には毎日登山をする強者も居るそうです。
金剛山周辺は、昔から人の出入りが多いせいか
地図に出て来ない様な道がいっぱい有りGPSが無いと迷子に成りそうでした。

 行程概要
道の駅 かつらぎ → 葛城山ロープウェイ山麓駅 乗車 → 山頂駅 下車 → 葛城山 →
水越峠 → ダイヤモンドトレール → もみじ谷道 → 金剛山 → 郵便道 → 高天 →
近畿自然歩道 → 葛城山ロープウェイ山麓駅 駐車場→ 道の駅 九度山 泊

本日の歩行距離
22km

6座の名山の配置
大和葛城山・金剛山・竜門岳・高見山・三峰山は東西一列
俱留尊山は三峰山の少し北に配置しています。
距離も其々10~30km以内と比較的近距離です。


駐車場(¥1000)・ロープウェイ(¥950)を払い山頂に向かいます。
ロープウェイから山頂までは直ぐ近くです。
大和葛城山山頂にはポストが在りました。
山頂には大きなつつじ園が在りましたが
花の時期には少し遅かった様です。残念!!
水越峠を越えてダイヤモンドトレールを進みます。
途中でインスタント焼きそば作って腹ごしらえ。
もみじ谷道を通って金剛山山頂に到着
ここにはライブカメラが有って全国に配信されているそうです。




近畿自然歩道を歩いていると一杯 神社やお寺が在りました。
人には、こんなに沢山の神社やお寺が必要だったんでしょうか?
必要だった時代に作った物が段々と溜っていったんでしょうか?
人の心の形が時代と共に細分化された結果でしょうか?

がんばれ!
駐車場までもう少しです。