2025年6月8日日曜日

四国歩き遍路の旅(13):宗教 と 無神論

私の お遍路旅は長距離を歩くと言うチャレンジが中心です。
納経帳に御朱印を貰う為には
嘘・偽りの無い様にきちんとお経は読みました。
また、お寺でも
「○○様・・・・お願いします!」とは拝みません。
毎回
「ここまで歩けました。ありがとうございます。」で終了しました。

ある時
数日宿泊が一緒になった海外生活している日本の若者と話しをしたら
「初めは、無神論者」と言っていましたが
今は「何宗 何派」には属して無いけれども「仏教徒」と答えると言っていました。
また、
知り合いになった同世代のオーストラリア人お遍路さんは、カソリックでした。
「クリスチャンがお遍路に来たら、空海さんは怒らないけどキリストさんに怒られるぞ!」
と私が言ったら
彼に、笑ってごまかされました。

いったい、「宗教」とは何でしょうか?
これは、私が考えた私の結論ですが、
「宗教」と言う言葉を「世界感」と読み替えて下さい。
この世界感が分かれば、誰を敬い、誰に手を合わせるかが決まります。
ひょっとしたら敬うのは人格神や人では無く、自然かもしれません。
面白いのは
色々な宗教を「世界感」としてまとめて見て下さい。
その教えの中に色んな「矛盾」も沢山見えて来ますよ!!

私は無神論者だ!と言う人は
「何宗 何派」の分類に拘って、「自分の世界観」に気付いていないと思います。
無神論の本質で大事なのは
「見えない者・見えない世界」の存在を認めるか?認めないか?です。
「何宗 何派」の分類はどうでも良いと思います。

ひょっとして
モーレツサラリーマンなら
社長の理念・社内戒律に溺れ、社規に無い戒律を自ら作り出す
「会社教」の信者かもしれません!

私も若い時に
山岳信仰の行者だったかもしれません。
何の意味も無い山に登る行為?
命がけで登山をする・出来るのも
自分や信者間の「仮想的美意識行為」に溺れた
脳内麻薬中毒患者か修験道の修行だったかもしれませんね!

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